教科書の v = L·di/dt に、オシロで測った端子電圧をそのまま代入してはいけない。そう言われても、何が問題なのかが見えにくい。原因は「理想インダクタ L」が部品ではなくモデルの構成要素だという点にあります。ここを押さえると、ソレノイドの波形解析でどこに落とし穴があるかが一本の線でつながります。
関連記事 ── この資料は ソレノイド逆起電力と還流ダイオード の補足です。記号の定義(v, di/dt, L, ノード ① ②)と回路構成はそちらに準じます。
理想インダクタとは、v = L·di/dt という関係だけを持ち、それ以外のことは一切しないと定義された架空の素子です。具体的には次を満たします。
½Li² として全部溜まり、全部返ってくる現実にこんな物体は存在しません。これは物理部品ではなく、回路方程式を立てるための「役」です。力学で「質点」や「摩擦のない斜面」を使うのと同じ立場のもので、部品箱から取り出すことはできません。
したがって「理想インダクタの式は v = L·di/dt」という文は、この架空の素子の両端についてのみ成り立つと読む必要があります。実物のソレノイドの端子について言っているのではありません。
実物は、鉄心にエナメル線を巻いてプランジャを入れた金属の塊です。少なくとも次の性質を同時に持っています。
| 実物の性質 | 内容 | 2 素子モデルでの扱い |
|---|---|---|
| インダクタンス | 磁界にエネルギーを溜める。ソレノイドの本体機能 | L として扱う |
| 巻線抵抗 | 銅線の直流抵抗。数 Ω〜数百 Ω | R として扱う |
| 鉄損 | 鉄心のヒステリシス損・渦電流損 | 無視(kHz 帯では小さい) |
| 浮遊容量 | 巻線どうしの静電容量 | 無視(MHz 帯で効く) |
| 磁気飽和 | 電流を増やすと鉄心が飽和し L が落ちる | その動作点の L に織り込む |
| 位置依存 | プランジャが入ると磁路が変わり L が増える | 吸引前・保持中で別の L |
| 温度依存 | 銅は約 +0.4 %/K で R が増える | その温度の R に織り込む |
このままでは式が立てられません。そこで実物を理想素子の組み合わせで置き換える ── これが等価回路モデルです。
ON/OFF 駆動の解析(数 Hz〜数十 kHz)では鉄損と浮遊容量を落とせるので、ソレノイドは理想インダクタ L と理想抵抗 R の直列という、たった 2 素子のモデルで十分です。
この中央の点が問題の震源地です。モデルには端子が 3 つありますが、実物には 2 つしかない。中央の点はプローブを当てられないどころか、物理的に存在しません。したがって、
v = L·di/dt が成り立つのは L の両端、つまり ① と架空の点のあいだこの 2 つは違う量で、差はちょうど i·R です。キルヒホッフで書けば次のようになります。
i·R は、端子電圧のうち傾きの生成にまったく寄与せず、ただ熱になって消えていく取り分です。教科書の式を測定値にそのまま当てはめると、この取り分を L の働きとして数えてしまうことになります。
「そんなことは分かっている、普通は無視できる誤差だろう」と感じるとすれば、その感覚は正しいものです。スイッチング電源のチョークコイルなら、実際に無視できます。
| コンバータのチョーク | ソレノイド | |
|---|---|---|
| インダクタンス L | 100 µH | 100 mH |
| 直列抵抗 R | 30 mΩ | 20 Ω |
| 動作電流 I | 2 A | 0.6 A |
| 電源電圧 Vs | 12 V | 24 V |
| i·R | 0.06 V | 12 V |
| i·R / Vs | 0.5 % | 50 % |
チョークコイルの R は「できるだけ小さくしたい寄生成分」なので、設計者は必死に下げます。結果 i·R は電源電圧の 1 % 以下になり、教科書も回路シミュレータの入門例も堂々と無視します。電力変換の世界の常識が、R ≒ 0 を前提に組み上がっているわけです。
ソレノイドは真逆です。ソレノイドの R は意図して大きく作られた設計値です。定格電圧をかけっぱなしにしたとき電流が Vs / R で止まってくれないと焼損するので、「24 V 品・1.2 A」なら R = 20 Ω は仕様そのもの。寄生成分ではなく主役級の構成要素です。
その結果、i·R は補正項ではなく電圧の半分を占めます。電力変換の直感をそのまま持ち込むと壊滅的にズレる ── これが、この話をわざわざ一本の資料にしている理由です。
Vs = 24 V、Vf = 0.7 V、R = 20 Ω、L = 100 mH のソレノイドを、保持電流 I = 0.6 A の定常状態で PWM 駆動している場面を考えます。デューティは電圧・秒平衡から 24D − (1−D)·0.7 = 0.6 × 20、すなわち D ≒ 51 % です。
還流中が特に危険です。端子に現れているのは −(Vf + i·Rs)、ざっくり −0.7 V。これをそのまま代入すると、
18 倍の誤りです。「還流ダイオードでクランプされるから電流はなかなか減らない」という直感は、巻線抵抗の大きいソレノイドではまったく当たりません。減衰の仕事をしているのは主にダイオードではなく巻線抵抗で、ダイオードは Vf ぶん(この例では 0.7 / 12.7 ≒ 6 %)しか効いていません。
一見ややこしいのが、i·R が ON 中は「引き算」、還流中は「足し算」に見える点です。
式としては両方とも vL = v − i·R で、i·R の符号は変わっていません(電流の向きは還流中も ①→② のまま)。変わったのは v の符号だけです。物理的にはもっと単純で、抵抗は常にエネルギーを熱として捨てるので、いつでも電流をゼロの方向へ引っ張る。増やそうとしているときは足を引っ張り、減らそうとしているときは背中を押す。それだけです。
ON 中の i·R には、もうひとつ重要な働きがあります。電流が増える → i·R が増える → L の取り分が減る → 傾きが鈍る、という自己抑制です。
| 電流 i | i·R | vL | di/dt |
|---|---|---|---|
| 0 A | 0 V | 24 V | 240 A/s |
| 0.6 A | 12 V | 12 V | 120 A/s |
| 1.0 A | 20 V | 4 V | 40 A/s |
| 1.2 A | 24 V | 0 V | 0 A/s(頭打ち) |
i·R 項があるかないかで、直線的なランプが指数関数に化ける。時定数 τ = L/R = 5 ms、飽和電流 Vs/R = 1.2 A という見慣れた数字は、すべてこの項から出てくる。PWM 波形で電流が直線的な三角波に見えるのは、スイッチング周期 T が τ = L/R より十分短いときに指数曲線の一部を切り取っているからです。この例では τ = 5 ms なので、10 kHz(T = 0.1 ms)なら三角波近似は十分正確、500 Hz まで下げるとカーブが見えてきます。
ここまで来ると、測定の話に落ちます。L は測定器で直接読める量ではありません。波形(端子電圧 v と電流 i)を測り、2 素子モデルを当てはめて逆算するフィッティングパラメータです。モデルの当てはめ方を間違えれば、L の値そのものが間違って出てきます。
先ほどの例で実際にやってみます。還流期間の電流の傾きは実測で −127 A/s、端子電圧は −0.7 V。ここで端子電圧をそのまま使うと、
これは「精度が甘い」という話ではなく、桁を間違えるという話です。
実務では R の正確な値(特に発熱後)が分からないことがあります。そこで使えるのが、i·R が ON 側と還流側で符号が逆になるという性質です。両方の傾きを足すと打ち消し合います。
この例なら L = 24.7 / (120 + 127) = 100 mH。抵抗値も平均電流も知らないまま L が求まります。本記事の「ソレノイド逆起電力と還流ダイオード」で示している式 [3] の根拠はここにあります。
逆に、同じ波形から R を出すこともできます。電圧・秒平衡から D·Vs − (1−D)·Vf = I·(R + Rs)。Rs は既知なので、デューティと平均電流が分かれば巻線抵抗 R がそのまま出ます。波形 1 枚から L と R の両方が取れるのが、このモデルの実用的なうまみです。
「理想インダクタ L」は、L が定数であることも含意しています。実物のソレノイドではそうではありません。
vL が −12.7 V から −16 V 近くまで動き、電圧・秒平衡に従って保持電流もずれますつまり、測って出てくる L は「その電流・その位置・その温度における L」です。カタログの 1 個の数字で全域を語れないのがソレノイドの厄介なところで、冷間と熱間、吸引前と保持中で波形が変わるのはこれが理由です。
理想インダクタ L は部品ではなくモデルの構成要素であり、その両端はプローブを当てられない架空の点にある。端子で測れるのは常に L·di/dt + i·R の和。チョークコイルでは i·R が 1 % 未満なので無視できるが、ソレノイドでは設計上 R が大きく、i·R が電源電圧の半分を占める。だから端子電圧をそのまま v = L·di/dt に代入すると、電流の傾きも L の推定値も桁で外す。